TRIADレーベルロゴと昔話。

art direction:Izumi Itoyama
title:TRIAD
format:Logo
date of issue:2015
client:Nippon Columbia/TRIAD

v81AesCE
日本コロムビア株式会社TRIADレーベルのロゴマークのリニューアルデザインを担当させていただきました。
モチーフは鶏なので飛翔ではなく、獲物に飛びかかるイメージ。

レコード会社とレーベルの関係。
古くはMOTOWN、DECCA、PYE、APPLE、IMMEDIATE、4AD、Factory…
音楽はもちろん。ファッションやスタイル、そして姿勢や態度、思想や意見。
レーベルはその象徴でした。
アーティストのカラーにある程度の統一性があって、カッコイイレーベルが出す新人はカッコ良かった。
安定のブランドイメージがありました。

今は単に社内の部署名になってしまっているところが多く、スタイルを持っているレーベルはごく一部。
趣味の多様化や、セールス至上主義の現在にあって、ブランディングなんて言ってられないのでしょう。

このTRIADレーベル。
古くは吉井さんも所属したイエローモンキーや、ミッシェル・ガン・エレファント、ピチカート・ファイヴらが一緒に所属していたレーベル。
コレクターズや、モーサムトーンベンダー、LOSALIOSやベーシストのKenKen、ニューロティカ、クラムボン、ZIGZO、Syrup16gなどなど、素晴らしいアーティストが沢山いました。
かの忌野清志郎さんが所属していたと言われる、LOVE JETSもいました。

ロックレーベルのイメージが強いレーベルですが、その第一弾リリースは意外にも財津和夫さんと新人、原みどりさんによるデュエット曲「償いの日々」でした。(1987年1月1日発売。89年は誤り)

127316509140216123477

「日本コロムビア=美空ひばりさんを始めとする演歌の名門会社」と言う、偉大なるイメージを払拭させるために立ち上げられた新機軸のレーベルでした。
陰気臭い本社ビル内ではなく、近くの雑居ビルにオフィスを構えていました。
TRIADは3和音という意味で、アーティスト+外部プロデューサー+レコード会社と言う、3つの感性が1つの音楽を創る、と言う理念の下、発足したレーベルで、当時日本ではまだ珍しかった外部プロデューサーを起用したレーベルだったわけです。
その後も上田正樹さんや、ユーミンの英語カバー(逆カバーとか呼ばれブームになりましたね)を歌ったA.S.A.Pなどが所属していたり、村上春樹さんの「ノルウェイの森」や「ダンス・ダンス・ダンス」等の「小説のサウンドトラック盤」をヒットさせたりしました。

そんなTRIADがロックレーベルへの道を突き進むようになったのは1990年にレーベル内レーベル「SEVEN GODS」が誕生してからだと思います。先述のコレクターズやピチカート・ファイヴを始め、Der Zibet、The Willardらが所属していた麻田事務所と業務提携して始まったレーベルです。
古くはSEX PISTOLSを日本に紹介したり、ルースターズやGODIEGOが在籍した会社の血でしょうか。いつの間にかロック好きなスタッフが集まるようになり、初期のプロデューサーシステムや文化的な企画物より、ロックバンドと共に、ダンスミュージックを強く打ち出し始めたピチカート・ファイヴを筆頭に、エスカレーターズやナツメグとの提携レーベル「TRIAD-Z」レーベルの発足など、ロック+ダンスミュージックレーベルとしてのカラーを確立していきます。

自分の好きなアーティストや音楽が売れていくのを見るのはとても楽しいことでした。
「TRIAD NIGHT」と称して日比谷野音でレーベルイベントをやったり、「Beats are alright」と言うテレビ番組を始めてみたり、側から見たらイケイケのレーベルであったかもしれません。
最近はめっきり少なくなったようですが、各アーティストのライヴの後は必ず、打上げがあって、しかも今とは違って、平日でもバンバン客が入っていた時代でしたから、朝まで飲んで、翌日10時から会議、なんて毎日でした。
新宿の銅羅とか、呑者家とか、よく行きました。某東京◯◯◯ー◯は打上げで必ずケンカしてました。

飛ぶ鳥を落とす勢いに見えたTRIADレーベルは、96年のイエローモンキーの移籍からごくゆっくりと下降が始まっていて、2000年に名物プロモーター中原繁の急死によって深刻な空中分解を迎えることになるのですが、その頃は夢にも思いませんでした。

その辺のくだりはまた後日。